Like a cat.

ふわふわと風になびく髪を、千歳はジッと見つめていた。今日の天気は比較的穏やかで、テニスをするには丁度良いくらいの風が柔らかく吹いている。最近は天気が崩れがちで、それに伴って寒暖差が続いていたため、寒過ぎず暑過ぎずの今日の気候はとても心地が良い。この天候にテンションを上げた者は予想よりも多かったらしく、千歳が「今日は誰と打ち合おうか」と思案している最中に、コートは全て埋まってしまった。
「ありゃ・・・。」
のんびりと動いていた自分がいけなかったのだが、ラケットを思う存分振るうのが先延ばしになった事を、千歳は少し残念に思った。天気が悪いと、湿気で千歳の髪は自分ではどうしようもない程にうねる。髪型が思い通りにいかなかった日々のストレスを、今日の試合にぶつけて発散させたかったのだが、コートが空いていないのなら仕方ない。
(やれやれ、気長に待つしかなかね。)

試合が出来なくても、このU-17合宿所にはレベルの高いメンバーが揃っている。だから見ているだけでも、十分に有意義な時間が過ごせた。プレイを見てデータを取る事が千歳は好きだった。その役割は、四天宝寺では専ら小春やユウジの仕事だったが、2人と違って千歳は無我の可能性を視野に入れてプレイヤーを観察していた。記憶力は良い方だと自負していたから、あからさまにメモを取るような真似はしない。必要無かったし、面倒くさい。そんな変な所で怠惰な千歳のルームメイトは、乾貞治、柳蓮二、観月はじめ、と各校代表の様なデータマン揃いで、それが千歳の面倒くさがりに拍車を掛ける原因にもなっていた。

なんせデータの宝庫だ。この3人が今まで纏めてきた、自分の知らない過去の試合や個人の情報なんて、ちょっと声を掛ければすぐに教えてもらえる。乾は苦い思い出のあるあの汁を量産し続ける変人だが、根は素直で優しい。柳は白石に世話になったからと、その伝で自分にも穏やかに接してくる。
(観月は・・・。)
乾や柳と違って、扱いが難しかった。しっかり者の彼は緩い千歳と噛み合わない事が多々あり、そのおかげで部屋を割り振られてから彼に叱られた事が、今まで何回あっただろうか。白石も厳しかったが、観月はもっと厳しくて容赦が無い。機嫌はすぐに治らない、小さな事でも妥協してくれない。ちょっと神経質過ぎて、そしてたまに腹黒い。彼を苦手だと思う人間は多いだろうな、というのが今の正直な感想だった。

だが難しい人種だとは思っても、千歳本人は不思議と苦手だとは思っていなかった。30cm近くの体格差があるのに、それを物ともせず接して来る姿は、変に気を遣われるよりは好感が持てた。細かい所を指摘されるのは、自分と観点が違うんだと発見出来て逆に感心する。妥協しないのは、自分をしっかりと確立出来ている証拠。それはとても良い事だと思う。そう思っていたから、むしろ観月は千歳の中で好きな人間のカテゴリに入っていた。この意志の強さなら、無我の可能性もあるかもしれない。試合中の姿と私生活を含め見た、これが千歳の観月に対する評価だった。

結構な高評価を貰っている事なんて露程も知らない観月は、今千歳と並んでベンチに座りノートに何やら念入りに書き込んでいる。千歳がそっと手元を覗き込むと、行間なんてほぼ無いくらいに、みっちりと書かれている文字の羅列が見えた。
(すごかねー。)
自分にはとても真似できない。いや、する気が起きない。見ているだけで手が攣りそうだ。
(あと5分・・・。観月がこの作業を続ける時間ばい。)
つまり、後5分は喋る相手もいないという事だ。千歳は退屈だった。せっかく隣に人がいるんだから、試合を見て何がどうだとか会話をしたい。ノートに書くのも大事だけれど、今は後回しにしてとりあえず構ってほしかった。だけど彼の作業の邪魔をすると後が怖い。だから千歳は試合観戦をしつつ、時々隣に視線を向けて、ふわふわと風になびく髪をジッと見つめていた。
(5分、長かねぇ。)

何もする事が無いと、時間の流れが極端に遅く感じるのはどうしてだろうか。隣の手は一向に止まる気配は無い。
(そろそろ休んだ方が良かとじゃなか?)
これから試合をするのに腕を酷使するのは良くないと思い、強引に止めようかと思った所で、一層強く風が吹いた。一瞬だけビュンと吹いた強風は、視線の先の観月の髪を乱していった。視界を遮られた観月が、驚いて書く手を止める。あ、と思った時には、もう手が伸びていた。直してやらないと、そう思っていた。
「何ですか?」
唐突に頭に手を置かれて、観月が訝しげに声を掛けてくる。
「髪の毛、ボサボサになっとるけん。」
「ボサボサだなんて、貴方に言われたくありませんね。」

千歳の髪は固いから、観月の様にそこまで乱れてはいない。普段から髪をボサボサにしているお前に言われたくない、と暗に言われているのだと理解した千歳は、ニッコリ笑って「知っとる」と返事をした。悪態を付かれるのは、もう慣れっこだ。自分の頭の上に大きな手が置かれていても、観月は別段驚いてはいなかった。理由は千歳が毎日飽きもせず、観月の頭を撫でていたからだ。千歳自身も理由は良く分からなかったが、何故か観月の頭には手を置きたくなる衝動に駆られるのだ。丁度良い位置にあるから、とは言わないでおく。前にそう伝えたら、容赦無く鳩尾に拳が飛んできた。どうやら同室3人が長身揃いなのが、だいぶコンプレックスになっているらしい。

不器用な手つきで、サラリと髪を整えてやる。観月の髪は、多少癖はあるけど柔らかくて。この触り心地は、そう。猫の毛並みに似ている。
「観月は猫んごたる。」
「なっ、誰が猫ですか!」

ようやく話せたのが嬉しくて、千歳はつい口を滑らせてしまった。動物に例えられるのは嫌だったのかもしれないが、噛み付いてきた観月を見ても悪いとは思っていない。寧ろ自分の好きな物に例えたんだから、許してもらえるだろうと思っていた。自然に顔が笑みを作るのが分かる。この感触が好きだ。
「髪の毛サラサラしとって羨ましか。俺、観月の髪好いとるとよ。」
「はぁ!?な、突然何を言っているんですか!!」
「怒らんちゃよか。褒めとるとだけん。」
「褒めていると言われても、ペットの様な扱いは不愉快です!」
撫でていた手が、バシッと強く振り払われる。
(あ、許してもらえんかった。)

笑顔を作って宥めようとするも、敢え無く失敗。だがプリプリと怒りながら去って行く観月の後姿を見ても、千歳の顔はニコニコと緩んだままだった。撫でたら柔らかくてサラサラで、近付いたら警戒して。それでも一度は撫でさせてくれる。すぐに機嫌を悪くして、どこかに行ってしまうけれど。
「はぁ〜、やっぱ猫んごたる。むぞらしかねぇ。」

観月はリアクションから行動まで本当に猫のようで、だから構うのを辞められない。
(贅沢ば言うなら、もうちぃっと長く撫でさせてくれっとが理想的やっとばってん。)
ベンチから立ち上がって、ゆっくりと観月の歩いて行った方向に足を進めながら、千歳は逃げるのを追い掛けるのも醍醐味だと気楽に考えていた。

そんな千歳は四天宝寺にいた頃は、人に逃げられたら猫や犬等、動物に構いに行っていた。そして、今まさに観月と言う人間に逃げられた。だが千歳は動物に走らずに、逃げた観月を追い掛けている。いつの間にか猫よりも観月の方に若干傾倒している。興味の強さが変わった事に、千歳本人はまだ気付いてはいなかった。

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