いっそ心中しようか?

「今日は星がよう見えるなぁ。」

星が綺麗に瞬く夜、ベランダの手摺りに手を掛けて上を見上げながら、白石は感嘆の声を漏らした。時刻は午前0時をとっくに回っていて、日中よりも格段に低くなった気温は、並んで立つ俺達の身体を容赦なく冷やしていく。ヒューヒューと吹く風が身体の合間を通り抜ける度に、暖房の効いた暖かな室内が恋しくなる。けれど、空を見上げる白石の表情があまりにも楽しそうだったから、早々に部屋に戻ろうと催促するのは何だか憚られた。

暖房を効かせて過ごしやすく温めた室内と、外の冷たく刺すような気温の差のせいで、窓に出来た水滴をカーテンが吸ってしまっているのを発見した白石は、「カーテンを替えなあかん。」と愚痴っていたと思ったら、その後窓から見えた美しい星空にあっという間に興味を奪われたらしい。サンダルをつっかけて、ふらふらと蝶が花に吸い寄せられるように部屋から出て行った彼の服装は、室内にいたのだから当然薄着のままだった。防寒しなければ、部屋の中にいても手がかじかむ程に寒くなったこの季節。このままでは絶対に風邪を引くと確信した俺は、肩に掛けていたカーディガンにきちんと袖を通した後、寝室から毛布を取って白石に続いてベランダに出た。ふかふかの毛布をバサリと広げて、白石を巻き込んでマントの様に羽織ると、端同士を握って前を締める。これだけでもだいぶ寒さが和らぐだろう。
「幸村くん、気が効くな。」
「こうしないと誰かさんが凍えちゃうからね。」

まだ外に出てそんなに経っていないのに、もう外気に晒された全身が冷たい。部屋に戻ったら、寝る前に暖かいお茶を淹れてあげよう。星に熱中する白石は、自分の肩が寒さで震えているなんて感じていなさそうだ。
「流れ星とか見えへんかな。」

熱心に星を見ているなと思ったら、流れ星が目的だったのか。唐突に始まった天体観測に、俺はてっきりこれからは星関連でも聖書になるつもりかと考えたのに。
「何か願い事でもあるのかい?」
「あるで?幸村くんとずっとラブラブでおれますように、とかな。」
「何それ。」
茶化すような言い方に、思わず笑ってしまった。吐き出した息が白く空気に溶けていく。
「それ、わざわざ願うような事?」
「祈っといて損は無いやん?何かの拍子に喧嘩して、別れてまうとかあるかもしれんし。」

俺に釣られて笑う白石の口から「別れる」なんてワードが出てきて、寒さとは別の意味で背筋に冷たいものが流れる。けれど当の本人は、あくまで可能性の一つとして話しただけに過ぎないようだ。ケラケラと笑う表情に悪意は全く見えない。心情を弄ばれたような気がして、少しだけ複雑な気分だ。
「何?俺と別れる予定でもあるの?」
「ううん。そんなん、一生あらへんけど?」
「じゃあ良いじゃない。星に頼らなくてもさ。」
「せやけど、世の中何が起こるか分からへんで?」
「俺達が良くても、周りが反対し出したらどないする?」

夜空から視線を外して、隣の白石を凝視する。こちらを見つめ返す瞳の奥には、やっぱり悪意なんて見えなくて。けれど口調のようにふざけて聞いた訳でも無さそうだった。
「周りって、真田とか忍足くんとか?」
「あと親と妹とか。」
そう聞かれて、ふむと考え込む。俺達の関係を知って最初は驚きこそしたものの、祝福して暖かく見守ってくれている友人達。それが今度は俺達を引き裂こうとしてくるのか。
「それはちょっと、キツイかな・・・。」

皆が反対意見を述べてくる時が来たら、きっと俺達自身の事を考えた末の結果だろう。心配を掛けているだろうと自覚している部分はあったから、それ故に「別れた方が良いんじゃないか」と提案されたとしても、それは仕方のない事だと思う。けれど、信頼している仲間にそんな事を言われるとは、想像しただけでどうしようもなく悲しくなる。俺も白石も、今更「離れろ」と言われて、「はい分かりました」と簡単に別れるなんて出来やしないのに。
「悲しいね。考えてみて始めて分かったよ。君と2人でこうして同じ時間を過ごしているのを、皆が許してくれている時点で奇跡なんだって。」

世の中は、この真冬の寒さよりももっと冷たくて厳しい。白石の言う「もしも」がこの先訪れてしまったら、俺はどうすれば良いだろう?知り合い皆に反対されて、家族のいる家にも帰れなくなって、世間から蔑むような目を向けられ続ける、暗く悲しい世界に取り残されてしまったら。冷たい世界は、容赦なく俺と白石を傷付けるだろう。守ると決めた恋人が、傷付き涙を流し続ける姿なんて見たくない。俺は彼の為なら何でもするつもりだけれど、それすら受け入れてもらえなくて、夢も希望もない世界で苦しんで生きていく事になってしまうんだとしたら。
「その時はいっそ心中しようか?」

そんな暗い未来で生きるくらいなら、人生途中下車という選択肢もありじゃないかな。今生なんて捨てて、君と遠くまで旅に出よう。誰も俺達に干渉しない、2人だけで遠い遠い所へ。
「君の育てているトリカブトでも使ってさ。」

どうだい?この提案。大袈裟にニコリと笑って、白石の反応を待つ。これは勿論冗談だ。心中するなんて真っ平ごめんだよ。まだまだやりたい事はたくさんあるのに、人に批判されたくらいであっさりと死んでたまるか。もし周りの皆に反対され始めたら、どんな手を使ってでも無理矢理にでも納得させてやる。仮に納得させられなかったとしても、その時は白石を連れて出て行くだけだ。世界は広いんだし、受け入れてもらえる所に行けば良い。
「ええな、それ。ドラマみたいで。」
俺の言葉を聞いて、白石も楽しそうに笑う。
「君の為なら死ねる。」
「幸村くんカッコええ!」

静かな空間に、俺達がケラケラと笑う声だけが響いた。関係を否定されたらどうしようなんて、今はそんな事を考えるのは辞めてしまおう。草木も寝静まった暗い夜、俺達の事を見ているのは空に浮かぶ月と星しかいない。その星からも視線を外して、こうして近い距離で見つめ合えば、今この世界に存在するのは俺達2人だけ。邪魔する奴なんて、今は誰もいやしない。

寒さで冷え切った指で、同じく冷え切った彼の頬にそっと触れる。そのまま自然と重なった唇の温度は、冷たくてまるで氷みたいだった。毛布を留める片方の手も、足の爪先の感覚さえもう朧げなのに、白石が隣にいていくれるだけで、この寒さの中ですら居心地が良いと思える。
「なんや流れ星探してんのがアホらしなってきたわ。」
「祈っておいて損は無いんじゃなかったの?」
「最初から幸村くん頼った方が、損も無駄も無いねん。」
「ようやくそこを分かってくれた?」

ずっと一緒にいたいだなんて、シンプルでありきたりで、けれど叶えるのが中々難しい。そんな小さくて大きな願い。白石の言う通り、世の中は何が起こるか分からない。けれどその願いを叶えるのは、待てど暮らせど一向に姿を見せてくれない流れ星じゃなくて、実際に隣に立てる俺の役目だって事は分かってる。
「白石が許してくれるなら、お望み通りずっとラブラブでいてあげるよ。」
滅多に無い俺のふざけた言い回しに、また白石は笑ってくれた。この笑顔を守りたいと強く思う。だからさっき冗談で言った、この子を巻き込んで心中だなんて、どんなに追い詰められたとしても、俺には絶対に出来やしないんだって改めてそう思ったのだった。

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