指先にキス

(綺麗だな・・・。)

忍足くんと試合を行う白石を見て、ふとそんな事を思う。きっちりと狙い分けられたショット、相手が崩れた所ですかさずフィニッシュ。無駄が無い。打つ姿勢は教科書を見ているようで、打たれたボールがコーナーのギリギリで跳ねるのを目で追いながら、さすが聖書と言われているだけはあると俺は思った。
(・・・聖書、か。)

神が人類に与えた教典なんて、随分大それた通り名が付いたものだよね。白石のテニスは、ただひたすら基本に忠実なだけ。それ故に完璧だ。どんな打球に対しても、冷静かつ正確に対処できる彼は、相手のスタイルに関係無く無駄のない動きで全てを封じてしまう。本人は、派手じゃないからつまらないテニスだと言っていたけれど、このプレイスタイルを体現できるようになるまで、彼はどれだけ努力してきたんだろう。仰々しい通り名が付くのは、それ相応の実力を持っている証。そして、そこまでの評価を受けるには、天才じゃない限りその人がそれに見合う努力をしてきたという事だ。
(周りが破天荒なテニスをする中で、たった一人だけ基礎を忠実にこなして完璧なテニスを完成させるのは孤独じゃなかったのかな。)

2年生時の全国大会準決勝で、四天宝寺が敗退してから白石は変わったらしい。チームを勝利に導く。そのために楽しむ事を捨てて、勝つ事だけを考えて、今のテニスを完成させて。
「なんだか俺みたい。」

負けたくない理由とか、全力で勝ちを取りに行くスタイルとか、自分のテニスを確定させるまでの経緯とか、それと通り名が神々しい所とか。テニスを楽しくやっても、勝たなくちゃ、やってきた意味がない。結果が全てのこのシビアな世界では、テニスを始めた頃の気持ちのままでいたら、上に君臨することなんて出来なかった。王者立海の名を冠してから、得る物はたくさんあった。けれど、同時に失う物もたくさんあった。いつからだったかな・・・。テニスが俺の中で、やりたい事からやらなくちゃならない事に変わったのは。
「あーぁ、せっかく坊やが教えてくれたのに。」

またこんな事を考えてしまったと、長い長い溜め息が出る。テニスって楽しいんだよ。全国大会で2つも年下の坊やに教えてもらったのに、未だに俺は呪文みたいに楽しくやらなきゃって自分に言い聞かせないと、いつもみたいに相手を叩きのめしてしまう。試合中の俺は冷酷で怖いんだって。青学の坊や以外の1年生の子は俺に怯えてるし、ショックだなぁ・・・。でもすぐに変わるなんて出来ない。ずっとこのスタイルでやってきたんだから。・・・白石はどうなんだろう?勝ちに拘って努力する点は俺と同じだけど、自分の中で迷いは無かったのかな。

視線の先では試合はまだ続いていた。次の瞬間、鋭いショットが相手コートに決まり白石の勝利が確定する。小さくガッツポーズを決めて余韻を噛み締めるその表情には、満面の笑みが浮かんでいた。
(あぁ、君には迷いなんて無いんだね)

白石は俺が今悩んでいるジレンマなんて、とっくの昔に乗り越えているんだ。きっと自分のプレイスタイルの方針を決めた、その瞬間から。
「強いなぁ・・・。」

自分で決めた事は貫き通す。そして有終の美を飾る。はっきりしていて、とても分かりやすい。無駄が嫌いな白石らしいや。いつか君が勝敗なんて関係無く、自由なテニスをできるようになれたなら。その時には、俺も君の隣に立っていたい。君と手を取り合って一緒に歩んでいけたなら、どれだけ幸せだろう。

戻ってきた白石の左手を見ると、腕に巻かれた包帯が解けかかっている。直してあげようと思って、その手の平に触れると、新しく肉刺ができているのが分かった。また遅くまで自主連していたんだろう。皆が見ていない所で。どこまでも真摯で努力家で、本当に尊敬する。
「すごいね、白石。君は本当に・・・強い人だね。」

賞賛の意味を込めて、白石の包帯が巻かれていない指先に、静かに唇を落とす。幸村くんに褒めて貰えるなんて光栄やなぁ、と白石は屈託なく笑った。


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