indirect kiss

冬は地味に嫌な季節だと、時々俺は思う事がある。
「痛っ。」
そう、例えばこんな時とか。唇に感じるピリッとした痛みに、俺は「あぁ、またか」とうんざりした気持ちになりつつ顔を顰める。痛んだ箇所を指先で触ると、人差し指にうっすらと血が付いていた。
「どないしたん?幸村くん。」
「大丈夫?」
隣に座っていた白石と不二が、両サイドから俺を覗き込んでくる。
「唇が切れたみたいだ・・・。」

この所、本当に寒い日が続いていたから、そのせいで気温の低下と共に空気が乾燥したのが原因だと思う。毎年冬になると、いつもこうして唇が切れて痛い思いをしているから、刺すような寒さと相まってテンションは下がる一方だ。こういう現象が起きなければ、冬を好きになれるのに。ピリピリと痛む唇を押さえていると、白石が「せや、ちょお待っとってな。」と言い、近くに置いていたカバンをゴソゴソと漁り出した。
「あ、あった。はい、幸村くん。これ使ってええよ。」

そう言って渡されたのはリップクリーム。確かに、乾燥したらこれが一番効果あるよね。ただスティックの柄が黄色と黄緑色で、女子が持っているような、すごく可愛らしいデザインなのが気になるけど。不二も同じことを思ったらしく「ふふっ」と吹き出した。
「白石って、そういう可愛い系のデザインが好きなの?」
クスクスと笑われて、白石はバツが悪そうに答える。
「ちゃうねん。それ妹からの貰いもんや。買ったけど思ってたんと違う〜言うて、俺に押し付けてきてな。捨てるんは勿体無いし、まぁ香りはええなと思ったから、そのまま使うてんねん。」

リップクリームのキャップを開けると、ほんのりとレモンの香りが漂った。あ、確かにいい匂い。唇に塗ると、香りがいっそう強くなる。けれど不快感は無かった。リップクリームの保湿成分は十分に効果を発揮してくれて、爽やかな香りと共に、痛みもすうっと引いていった。
「すごい。効果あるね、これ。」
「せやろ?実は貰ってから、ちょっと女子のコスメってスゴイなって感心してん。」

ありがとう、と言って白石にリップクリームを返す。と、隣に座っている不二が、やけにニコニコ微笑みながら俺を見てくるのに気付いた。いや、さっきから笑ってはいたんだけど、なんていうか今の笑い方は、ニコニコっていうよりニヤニヤって感じ。
「なに?不二。」
「ふふふ・・・。いやぁ、ね?」
「何考えてるの。」
「間接キスだなって思って、つい。」
「・・・・・・。」
「よかったね。」

不二は俺が白石に対して、密かに淡い恋心を抱いているのを知っている。分かりやすい態度は決して取っていなかった筈なのに、いつの間にか気付かれていた。そして、たまにこうして俺の事をおちょくっては楽しんでいるんだ。気付いてるなら、からかわずに応援してくれればいいのに。ちょっと性格悪いと思うけど、この不二と結構話が合ってしまう俺も同族なんだろうなぁ。それにしても、今の発言は幼すぎるんじゃないかな?
「不二、今ので間接キスって・・・。小学生じゃないんだから。」
「確かに小学校の頃流行ったなあ。僕も裕太も姉さんによく弄られたし。でも、その小学生レベルの冗談でも、引っかかってくれる人はまだいるみたいだよ?」

ほら、と不二が指さした先には、反対側に座る白石がいる。リップクリームを受け取った姿勢のまま固まっていた彼は、俺と目が合うとはっと我に返った。
「あ・・・・・・。ご、ごめん幸村くん!!」
「え?」
「か、間接キスとか、そこまで全然考えてへんかった・・・。嫌な気分にさしとったら、ほんまに堪忍やで。」

突然慌てだした白石は、使用済みの物を俺に使わせたことに対して、罪悪感を感じているらしい。俺としては、そんなこと全然気にならない。もともとそこまで潔癖じゃないし。たまにだったけど、ドリンクの回し飲みとか立海でも普通にしてたし。
「気にしてないから、大丈夫だよ?」
「でも汚かったかもしれへん・・・。」
「汚くないし、そんなこと思ってないから。」
本当にそんなこと思ってない。むしろ白石なら、いつでも大歓迎だ。
「ありがとう、白石。気を遣ってくれて嬉しかったよ。」

安心したのか、ホッと白石は息を吐く。慌てたせいで彼の頬は少し赤くなっていた。顔を赤くしたまま緩く穏やかに笑う白石はとても可愛い。白石のいい顔が見られたから、今回は不二に少しだけ感謝しよう。本当に少しだけ。けれど安心出来たのは、ほんの一瞬に過ぎなかった。不二の悪戯はこれで終わらなかったんだ。
「白石、僕にもそれ貸して?」

不二はおもむろに席から立ち上がって、リップクリームを白石から借りる。てっきり自分も使うのかと思いきや、そのリップクリームを自分にではなく、白石の唇に塗りたくった。
「これで白石も幸村と間接キスしたから、おあいこだね。」
白石の驚いた顔を見て満足したらしい不二は、リップクリームを返すと「先に部屋に戻るね」と言い残し、さっさと立ち去ってしまった。不二にとっては俺のリアクションもだけれど、白石のリアクションも相当面白かったらしい。
(慣れていないだろうに、からかわれて可哀想に・・・。)
と思っていたら、突然カランッと軽い音が響いた。見ると、白石のリップクリームがコロコロと地面を転がっている。
「白石?」

落ちたリップクリームを拾い上げる。様子のおかしい白石に、どうしたのかと聞こうとした俺は、彼を見た瞬間に掛ける言葉を失った。白石の顔はさっきの倍くらいに赤く染まっていて、もう頬だけじゃなくて耳や首まで赤い。赤い顔のまま呆けた表情をして、左手の人差し指と中指でリップクリームの塗られた下唇を、軽く押さえるようにそっと撫でていた。形の良い唇からチラリと小さく舌先が見えて、そこに視線が釘付けになる。若干潤んだ目と、蕩けたようにうっとりとした表情。初めて見る白石の扇情的な姿に、内心焦った。
「白石・・・。」
「!!」

俺の声に驚いた白石は、指を唇から離して顔をこちらに向けた。かと思うと、今度はすごい勢いでバッと顔を逸らされた。
「あー、えーと、・・・堪忍。」
「どうして謝るの。さっきの事を気にしているなら、むしろ謝るのは俺の方なのに。ごめん、君の持ち物を汚すような形になってしまって。」
「いや、違くて。汚いとか、そんなん全然思てへんから!!・・・俺が勝手に、変な方向に考えてるだけで。」

小声で弱々しく話す白石は、顔を背けているせいでどんな表情をしているか見えないけれど、もしかして間接キスをした事で照れているんだろうか。嫌だとか汚かったとは言われなかった。だから、つい自分に都合の良いように考えてしまう。変な方向って、白石は何を考えたんだろう?
「とりあえず、これ返すよ。」

拾ったリップクリームを白石に手渡す。今度は落としたりしないように、丁寧に手に握らせた。
「あ、・・・おおきに。」
触れた途端、白石の手がピクリと反応した。手が緊張で震えている。不二の時は無反応だったのに、俺が相手の時にこんな風になるのはどうして?
(意識してくれてたりするのかな。)
俺が白石の事を意識しているみたいに。
「お、俺、先に部屋戻っとくな!!」

手に触れたことが引き金になったのか、それともこの空気に居た堪れなくなったのか、裏返った声でそう告げた白石は、立ち上がって脱兎のごとく走り去っていった。見れば白石の荷物はここに残ったまま。相当慌てていたみたいだ。
「ふふっ。」
普段とは違い過ぎるリアクションに、顔が緩んでいくのを抑えられない。いつも冷静で落ち着いていて、涼しそうな顔をして何でもスマートにかっこよくこなすのに、今日の白石はとても可愛かった。脈アリだと思ってもいいのかな。もっと、あからさまに迫ってみたら、今度はどんな顔をするんだろう。俺の中の欲はまだまだ尽きない。彼のいろんな表情や仕草を、もっともっと近くて見てみたい。そして許してくれるなら、今よりもずっと深い所まで彼を知りたい。

白石が忘れて行った荷物を抱えて、自室への道を歩く。これを届けたら、きっとまた慌てて謝ってくるんだろうなぁ。
「待ってて白石。絶対に落としてみせるから。」

冬は地味に嫌な季節だと、時々思う事がある。だけど今回ばかりはこの寒さと、白石の優しさに心から感謝しようと俺は思ったのだった。
(そうだ。もし「届けてくれたお礼を」なんて言われたら、白石が何に対して勝手に変な方向に考えているのかを聞いてみよう。)
さっきは逃げられてしまったけれど、今度は狭い部屋の中。彼がどう出るか楽しみだ。

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